2017年5月13日土曜日

年齢と精神の相違を解決する為の


脳内整理

12時を過ぎた時点で祝われても年を取った実感なんてまるで無いし、実際の年齢感はグラデーションになっているので気付きづらいんだけど年を取るごとに確実に何かが終わりつつあってこの先に死があるのだと思ったら年相応みたいな考えを今すぐかなぐり捨てる必要があると思った。かつて存在した私ではない私が今実際に私として生きている感覚がすごく怖い。こんな、私はこんなでは無かったはず。
人が大人になるって何かを諦めて自分の手中にある駒で生きて行くって事だと思うんだけど、実際私もそうなりかけていたんだけど、そんなん嫌だ。それって可能性を諦めるようなものではないですか。まだまだ若いのに。もがきながら生きる事は恥ずかしいとは思うけど表現を志す人間なんてあらかじめ恥ずかしいものなので、この文章だって恥ずかしいの最たるものだね。

生き辛いって感情、要は理想と現実の差異から来ているのでそこを埋める努力をする他ないと解決策まで分かっているからもう努力する他ない。でもここで一応書いておきたいのは雨宮まみの「仕事が見つからないのは、お金がないのは、結婚できないのは、「努力が足りない」から?クソ食らえ!努力に追い詰められて死ぬ前に、そんなもん捨てて生きのびろ!」です。実際彼女は死んだなあ。
この「努力」ってのは「自分軸に沿った自分の為の努力」と「世間に馴染む為の私を作る努力」でまた違う。後者を頑張りすぎると大変な事になる、努力は力量や才能を見誤ると確実に死ぬ。そして現在すべき自分の為の努力とは失いかけてたものを取り戻す為にとにかく行動するのみ、シンプルだな。


精神が年齢に引っ張られている事に違和感があって自分が自分じゃないみたいな事がなぜ起こっていたのか分かった。
ずっとなんかおかしいとは思ってたんだよな、毎日楽しくて幸せで。人生そんなはずないからな〜。単に傷つく程動いてないって話だった。平日働き始めてから休日とにかく遊んでただけで写真の事全然考えられてなかったり、そりゃ平和ボケもする。解決、おわり


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